トウカイテイオーの思い出

競馬日記
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トウカイテイオーとの出会い

私が競馬を始めるきっかけとなったのは、

1993年12月の有馬記念

を中山競馬場で観戦したことです。

その時に優勝したトウカイテイオーの姿に強く惹かれました。

出典:JRAサイトから引用

めちゃくちゃイケメンですよね。

これほど美しい馬にはテイオー以降、出会ったことがありません。

テイオーの姿、走りは本当に優雅という言葉がぴったり。

その反面、柔軟性と強いバネから、前脚が肩の辺りまで振り上がるほどフォームが大きく、接地の際の衝撃が大きかったため、骨折を繰り返しました。

中山競馬場で見たテイオーは、骨折放牧明けのぶっつけ本番の有馬記念出走で、ちょうど一年前の1992年有馬記念以来のレースでした。

トウカイテイオーの戦績

トウカイテイオーの父は、シンボリルドルフ。
”皇帝”と呼ばれたJRA史上初の無敗のクラシック三冠馬です。

テイオーも、ほぼノーステッキで新馬戦からダービーまで無敗の6連勝!

特にダービーでは2着のレオダーバンに3馬身差の圧勝でした。
レオダーバンに騎乗した岡部幸雄は「(安田が)3、4回ミスしてくれても敵わなかった」とコメントしたほどです。

ダービー後は、父と同じ無敗のクラシック三冠に向けて菊花賞を目指すところでしたが、レース後に左後肢の骨折が判明し、菊花賞には出走できませんでした。

テイオーの新馬戦からダービーまでの主戦は安田隆行騎手。
安田騎手は、それまでは、小倉や中京のローカル開催を得意とする地味な騎手でした。

ちなみに、安田騎手は現在調教師になっていて、ロードカナロアの管理していた調教師として有名です。

復帰は翌年の大阪杯(当時はGⅡ)で、ここから岡部騎手に乗り替わります。
大阪杯には前年の有馬記念を優勝したダイユウサクもいましたが、ノーステッキどころか追うこともなく優勝します。

その後、天皇賞春で若き天才武豊騎手のメジロマックイーンとの対決となりますが、大阪杯の疲れが残っていたのか、5着に終わり初めての敗戦を喫します。

レース後には右前肢剥離骨折が判明。

復帰後すぐにその年の天皇賞秋に出走し、1番人気に推されますが、調整不足のためか7着に凡走。

続けて初めて国際GⅠ競走に認定されたジャパンカップに出走。この年のジャパンカップはイギリスダービー馬が2頭出走するなど、世界から強豪が集まりました。
テイオーは、5番人気と人気を落としたものの、直線でナチュラリズムとの叩き合いを制して優勝します。

そして、年末の有馬記念では、岡部騎手が騎乗停止中であったことから、元祖天才と言われたものの落馬事故に泣かされた田原成貴騎手に交代となりました。
レースでは、ジャパンカップの勝利から再び1番人気に推されるも、まさかの11着。
レース直前に寄生虫駆除のための虫下しを服用していたことが原因ではないかとも言われました。

レース後の放牧中に左前トウ骨の剥離骨折が判明し、復帰は翌年の有馬記念まで一年間を要しました。

有馬記念では、ビワハヤヒデ、レガシーワールド、ウイニングチケットに次ぐ4番人気。
一年ぶりのレースですし、当然の評価でした。

鞍上は一年前と同じ田原騎手。

岡部騎手はビワハヤヒデを選んだことから、

「テイオーは終わった馬」

との評価もありました。

しかし、前評判を覆し、直線でビワハヤヒデとの叩き合いを制して優勝。

奇跡の復活

と言われました。

これほど長期の休養明けからのGⅠ優勝は、現在まで破られていない記録です。

レース後に田原騎手が涙ながらに「この勝利は、日本競馬の常識を覆したトウカイテイオー、彼自身の勝利です。彼を褒めてやって下さい」とコメントしているのを聞いて、私も胸が熱くなりました。

その後は、再び左前トウ骨を骨折し、惜しまれながら引退となりました。

引退式には、歴代の主戦騎手が参加しましたが、安田騎手への声援がもっと大きかったそうです。

そして、田原騎手は、

「有馬記念での2分30秒9は、私のこれまでの人生で最も充実した素晴らしい時間でした。あなたのおかげで、競馬のことが少しだけ分かってきた気がします。ありがとう、トウカイテイオー」

と謝辞を述べました。

田原騎手は落馬事故に苦しんだ自分とテイオーを重ねていたのかもしれません。

田原騎手は、その後、いろいろと話題になってしまいましたが、もともとは競馬を愛していた騎手であり、その気持ちは今も変わっていないと信じています。
田原騎手の勝利騎手インタビューは、私が初めて聞いた勝利騎手インタビューで、一番記憶に残っている言葉です。

以上でテイオーの戦績は全てです。

短いのです。デビュー以来12戦しかしていません。
生涯成績は12戦9勝でした。

トウカイテイオーの魅力

トウカイテイオーの魅力は何と言っても、貴公子と呼ばれていたほどの気品ある姿と優雅な走りです。

これは父である皇帝シンボリルドルフから受け継いだといわれていますが、私は母系の影響も大きと思っています。

悲運の名牝ヒサトモ

出典:Wikipediaから引用

皆さんはこのヒサトモという牝馬をご存知でしょうか?

ヒサトモは1937年に東京優駿大競争(現在の日本ダービー)を初めて制した牝馬で、その後も帝室御賞典(現在の天皇賞)などを制した名牝です。

しかし、繁殖馬入りした後に、オーナーの無理な意向もあって、16歳で再び地方競馬に競走馬として出走するという数奇な運命をたどります。

復帰後に5戦して2勝しますが、無理がたたったのか、レース後に馬房に戻る途中、突如として後脚から崩れるように倒れ、そのまま死亡してしまいます。

ヒサトモはもともと繁殖牝馬として、一頭しか牝馬を生んでおらず、ヒサトモの血統は消滅危機にありました。

その後、たまたま、当時若手のオーナーであった内村正則さん(後のトウカイテイオーのオーナー)がヒサトモのひ孫にあたるトウカイクインを購入します。

内村オナーがトウカイクインの血統を調べたところ、ヒサトモに繋がることを知り、「いつか大物が出る」ことを確信して、血をつないでいったのです。

十数年後トウカイテイオーの母トウカイナチュラルに繋がり、トウカイテイオーが生まれたのです。

一つの血統にこだわって育成を続けることは、経済的なリスクもあると思いますが、トウカイテイオーは、ヒサトモがいて内村オーナーがいてこそ誕生したのです。

こんな感動的なストーリーを受け継いでいるから、テイオーは気品があって優雅で、多くの競馬ファンを引き付けるのだと思います!

トウカイテイオーの血を引くもの

トウカイテイオーは25歳まで種牡馬としての活躍し、天寿を全うしました。

残念ながら、後継牡馬から種牡馬入りする馬は出ませんでした。

しかしながら、2019年11月より2か月間、トウカイテイオー産駒のクワイトファイン(統内にダービー馬が5頭(ヒサトモを含めれば6頭)入っている)を後継種牡馬にするためのクラウドファンディングが実施され、2020年1月8日に目標額を達成したことがプロジェクトのツイッターアカウントにより発表され、トウカイテイオー唯一の後継種牡馬となっているようです。

産駒のデビューが楽しみです!!

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